自己を脅かす心の痛みと生き延びる手段としての自傷行為や想像
1.ストレスへの対処
生活の中では様々なストレスに直面します。自分にとって気の進まない事をやらなければならないとすれば当然ストレスになりますし、それだけでなく、お祝い事など必ずしもネガティブな感情を抱いていない事に対してもストレスを感じることがあります。
ストレスは不安や緊張を人の中に生じさせるため、基本的には不快な感覚を伴うものです。そのためストレスを感じた場合には問題解決に取り組むことでストレス原因に対処したり、あるいは対処することが難しければ、それから離れることでストレスを和らげようとします。
抱えている問題が解決可能なものであれば、それに取り組むことによって原因は取り除かれていくでしょうし、解決の難しいものであったとしてもストレスがそれほど強くないものであれば、趣味やエクササイズなどでストレス解消ができれば、ストレスが問題になることは少ないと思います。
ただ、ストレス原因となる問題に取り組むことができず、またそこから感じるストレスが苦痛と感じるほどに大きなもので、ちょっとしたストレス解消では間に合わない場合、その苦痛を少しでも和らげるためにより強い刺激を求めるようになるかもしれません。
より強い刺激とは、たとえばリストカットなどの自分を傷つける行為であったり、飲酒やギャンブルなどの依存症であったりします。
このうち自傷行為などについての思考や行動と心理的苦痛の緩和の関連性について調査研究した論文を紹介する記事がアップされていました。
2.ネガティブ感情の対処法としての痛みや恐怖
孫引きになってしまいますが、アメリカ・ワシントン大学の研究とその研究に関して考察している記事が以下のものです
自殺や自傷について考えると「こころの痛み」が軽減されると判明
(ナゾロジー)
ワシントン大学の研究では、38の先行研究からデータを抽出し、その分析を行った結果、自殺について考えることや自傷行為を行った前と後ではネガティブな感情が減少していることがわかりました。
上記の記事では、ネガティブな感情の減少が何故起こったのかについて他の文献を参考にしながら考察を加えていますが、その理由を「人間に備わった心の調節メカニズム」にあると述べています。
人は様々な状況で感情を刺激されますが、感情を刺激されるたびにそれを表出していたら集団生活に支障をきたしてしまいます。そのような支障を避けるため自分の感情を調節しようと「心の痛みを肉体の痛みや死の恐怖で流してしまう」というわけです。
ただ、このような行為には常習性、同じ行為を繰り返しやすくなってしまうことが指摘されており、ネガティブな感情が生じるたびに自傷や自殺念慮によってネガティブな感情の低減を図ること、また同じ行為を繰り返すことによって痛みや恐怖への耐性ができてしまい、さらに強い刺激を求めるようになることが指摘されています。
ネガティブな感情への対処法として自傷行為や自殺行動を想像することが、結果として実際に命を落としてしまう危険性を高めてしまうということでした。
3.自分を傷つけることの心理的側面
上記の記事では、自分を傷つけるような行為や思考がネガティブな感情を緩和させるメカニズムについて、人に備わった感情調節機能と集団活動の維持という生物社会的な面から説明されていました。人の生物としてのメカニズムが古代から大きく変化していないことを考えれば、これらの要因は強く関わっているのかもしれません。
ただ、生物社会的な側面からの説明だけではピンとこない場合もあるように思います。感情の緩和について他にどんな説明ができるか考えてみたいと思います。
自分を傷つける行為や思考がネガティブな感情を和らげる理由として「心の痛みを肉体の痛みや死の恐怖で流してしまう」、つまり心の痛みを肉体の痛みや死の恐怖で上書きすることで心の痛みが背景に引き、ネガティブな感情が低減するということが挙げられていました。これは心の痛みよりも肉体の痛みなどの方がマシということなのだと思いますが、ただこの場合だと心の痛みから生じるネガティブ感情は低減しても肉体の痛みなどからネガティブな感情が生じてしまうようにも思います。
そう考えると、自分を傷つける行為や思考が単にネガティブな要素だけを持つだけでなく、当事者にとって何かしらポジティブな要素を持っているのではないか、という考えが浮かびます。たとえば行為や思考の中に快を感じられる要素があるのかもしれませんし、罪悪感を抱いている人にとっては自分に罰を与えることで少しだけ気が楽になるのかもしれません。
あるいは、逃避や解放という側面もあるかもしれません。自傷行為の最中には頭の中が真っ白になっていると言う人もいますが、頭の中を空っぽにすることによって苦痛から離れようとしているのかもしれません。また死ぬことだけが苦痛から解放される手段だと感じている人にとっては、死を想像することが苦痛を伴うものだったとしても、同時に救いのように感じられることで感情が和らぐのかもしれません。
自分を傷つける行為や想像において、人の心の中で起こっていることを網羅することは到底できそうにありませんが、そこで起きていることが痛みや恐怖などの苦痛しかないのだとしたら行為や思考を続けていくことは難しいように思います。そう考えると、行為や思考によって生じているものがネガティブなものだけでなく、ポジティブなものもあるというふうに考えることも不自然ではないのではないでしょうか。
4.生き延びる手段としての自傷行為や想像
自傷行為や自殺念慮、あるいは自殺企図が自己破壊的なものであり、生きることとは反対の行動のように見える、というのは確かにあると思います。ただ、同時にそれを行う人は強い心理的な苦痛を抱えており、その苦痛への対処として自己破壊的な行動をとっているというのもあるように思います。自分を傷つける行為や思考はその人が生き延びようとする苦闘の現われなのかもしれません。
ただ、今回の記事でも触れられていたように、自己破壊的な行動が生き延びるためのものだったとしても、それが繰り返されることによって実際の死を近づけてしまうものでもあります。
少なくない人が自傷行為に罪悪感を抱いているといわれていますが、それでも止めることが難しいのは、苦痛の程度が強ければ強いほど、それに対処するための行動も強力な効果をもたらすものでなければならず、代替する行動が簡単には見つからないためなのだと思います。
たとえ命の危険がある行為であったとしても、それが心的苦痛に対処するための行動なのだとしたら、ただ止めるだけでは命の危険を回避することにはつながりません。
自傷行為や自殺念慮を止めていくことを考える時、困難な道のりではありますが、それらの行動に替わるものを探していくこと、さらには心の痛みを抱えられるものにしていくことが重要なのだと思います。
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「文責:川上義之
臨床心理士、公認心理師。病院や福祉施設、学校などいくつかの職場での勤務経験があり、心理療法やデイケアの運営、生活支援などの業務を行っていました。2019年に新宿四谷心理カウンセリングルームを開設、現在は相談室でのカウンセリングをメインに行っています」
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