出来事の文脈的な位置付けと、出来事の意味付けの関連
1.出来事の文脈
人は日々様々な出来事を経験しています。それは人生に関わるようなライフイベントから日常的な些細な出来事まで様々です。日々の出来事から影響を受け、考えたり対処したりしながら生活しています。
個々の出来事はそれぞれが独立しているものではありますが、その出来事を経験する個人によって過去と現在、そして未来の出来事の推測という形で時間軸に沿って配置され、それぞれの出来事の間は結び付けられています。
全ての出来事が結び付けられるわけではありませんが、過去の出来事が現在に影響しており、現在の出来事がさらに未来の出来事に影響する(だろう)というように、過去・現在・未来の出来事は関連していると認識されます。
このような出来事間のつながりを出来事の文脈と言います。文脈はもともと文章の中の文と文、語と語の間の関係・関連を指す言葉ですが、それと同じように人は出来事間の関係・関連を見出すことで、人生のストーリーを作っていると言えるかもしれません。
このような出来事間の関連性の認識は、じっくりと考えた上でつながりを見出していくこともありますが、日常的にはじっくりと考えてというよりは、直観的で半分無意識的に認識していることが多いように思います。たとえば、食事をしようと思った時に、「最後に食事を摂ったのは〇時間前」で「〇時間経ったから適度に空腹になってい」て「今食事を摂っておけば〇時間後までは十分な活動ができるだろう」、なんてことをいちいち考えることは少ないのではないかと思います。
出来事の文脈というのは普段あまり意識しないことかもしれませんが、ある出来事をどんな文脈に位置づけているかということは、その出来事がどんな意味を持っているかということや個人がその出来事からどんな影響を受けているかということに大きく関わっています。
2.出来事の意味付け
出来事には出来事間の関連付けの他に、出来事に対して何らかの意味付けがなされる場合もあります。それはたとえば、嬉しいとか哀しいといった感情的な意味付けであったり、人生の転機といった個人の歴史的な意味付けであったりしますが、そのような意味付けには文脈的に出来事をどう位置付けるかということが関係してきます。
歴史的な意味付けは文脈的に出来事間のつながりを認識しているからこそ出てくる意味付けですが、逆に言えば、文脈的に出来事間のつながりを認識できなければ、出来事に歴史的な意味付けをすることはできないということでもあります。
また、感情的な意味付けでいえば、たとえばレストランで食事をした時に、何気なくお店に入った場合と期待してお店に入った場合では、同じ食事をするという出来事であっても出てくる感想は異なるかもしれません。何気なく入った場合は特別美味しいと感じなくても何も思わないかもしれませんが、期待して入った場合に美味しいと感じなければがっかりするのではないかと思います。「レストランで食事をした」「特に美味しくはなかった」という出来事は同じであっても、「ただ食事をするため」か「美味しい物を食べるため」かという前提が異なっているため、「特に何も思わない」か「がっかりした」かという意味付けが異なってくるということです。この後のことまで考えると、「特に何も思わな」ければ「また行く」かもしれませんし、「がっかりした」なら二度と行かないかもしれません。
意味付けには歴史的、感情的以外にも色々な意味付けがありますが、どんなの意味付けであっても、その意味付けの内容にはその出来事が文脈的にどんな位置づけにあるかということが関係していますし、その出来事単独で何かしらの意味付けをすることはできないのではないかと思います。
3.位置付けと意味付けの変化
出来事の文脈的位置付けとその意味付け、またそれらの関連性といったものは何かルールや決まりといったものがあるわけではなく、個人が主観的に関連性を見出していくという要素の強いものです。
主観的に関連性を見出していくということは、同じ経験をしていても個々人で位置付けや意味付けが異なる可能性があるということでもありますし、また同じ個人であっても変化していく可能性があるということでもあります。
上述したレストランの例を使えば、「がっかりした」けど「他の美点が見つかっ」て「また行く」人もいるかもしれませんし、「がっかりし」て「二度と行かない」と思っていたけど「期待値が高すぎただけで味は悪くなかった」と考えが変わって「また行く」人もいるかもしれません。またある人は「その前の行ったレストランが美味しすぎた」から「がっかりした」と別の出来事との関連を見出すかもしれません。
このように出来事の位置付けと意味付けは個々人によって、あるいはその時々によって変わってくるものですし、また無関係と思っていた出来事が新たに関連付けられることによっても変化していくものです。
出来事の文脈的位置付けは個々の出来事である点と点を、文脈という線によって結び付けていくことと考えることができると思います。そしてどのように線をつないでいくかによって浮かび上がってくる意味付けは異なってきます。また一度結びついた線であってもほどいて結びなおすことでまた違った意味付けができるようにもなると思います。
このように考えると、たとえば過去に心にひっかかるような出来事があったとして、過去の出来事の事実関係は変わらなかったとしても、文脈的な位置付けを結びつけ直すことによって、今までとは異なる意味付けで出来事を受け止めることができるようになるのではないかと思います。ただ、これは言葉にすると簡単そうに思えますが、固定観念などの影響によって一度できた結びつきをほどくことは簡単ではないことが多いと思います。そのような強固な結びつきをほどいていく時にカウンセリングは一役買えることがあるのではないかと思います。
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「文責:川上義之
臨床心理士、公認心理師。病院や福祉施設、学校などいくつかの職場での勤務経験があり、心理療法やデイケアの運営、生活支援などの業務を行っていました。2019年に新宿四谷心理カウンセリングルームを開設、現在は相談室でのカウンセリングをメインに行っています」
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