感情と経験のネットワーク
1.感情と経験
栄養を摂取することは生きていくために必要な行動ですので、食事を摂ることは基本的に毎日することですが、食べる物の中にも好きな物もあれば嫌いな物もあると思います。好き嫌いの理由は単純に味の好みの問題かもしれませんし、あるいは過去に起こった良いことや悪いことと関連しているかもしれません。
好きな物を見た時には嬉しくなったり、嫌いな物を見た時には気分が萎えたりしますが、そのような感情は過去の出来事と関連しています。その出来事を思い浮かべるかどうかに関わらず、美味しいと感じた経験や良いことの経験があったから嬉しくなり、不味いと感じた経験や悪いことの経験があったから気分が萎えてしまうのだと思います。
食事の好き嫌いに限らず、今生じている感情には、その全てがとまでは言いませんが、過去の経験と結びついていることがほとんどではないかと思います。未知のものに対しては感情を抱きようがないようにも思うかもしれませんが、知らないということに対してどんな感情が生じるかというのもやはり過去の経験が関係しています。
たとえば、知らないものに触れた時にポジティブな経験をすれば面白さを感じてより積極的になるかもしれませんし、ネガティブな経験をすれば怖さを感じてより慎重になるかもしれません。私自身は子どもの頃にドライアイスを鷲掴みにして痛い目に遭ったこともあり、未知に対しては慎重になったように思います。
それはさておき、今起こっている出来事に対して生じている感情であったとしても、どんな感情が生じてるかを左右する要因として、その感情と結びついた過去の経験、あるいは記憶があるのではないかと思います。
2.感情の変化
今生じている感情は過去の経験と結びついているわけですが、一度その結びつきが確立されるとその後ずっと同じ感情が生じていくのかというと、必ずしもそういうわけではありません。経験は日々積み重なっていくものですし、ある時の経験によってその後に生じてくる感情ががらっと変わってしまうこともあります。
再び食事の例になりますが、一般的に好きな物は頻繁に食べたくなり、嫌いな物はできるだけ避けたくなると思いますが、いくら好きな物であっても毎日食べ続けていたら飽きてしまったり美味しく感じなくなったりするかもしれませんし、嫌いな物を久しぶりに口にして悪くないと感じるかもしれません。また、同じ物を食べ続けていれば栄養が偏って調子を崩してしまうこともあるので、それがきっかけであまり好きでなくなってしまうこともあると思います。
このように感情と経験に結びつきが確立されたとしても、その後にまた別の経験と結びつくことがありますし、結びつく経験が変わることによって生じてくる感情も変化するかもしれません。
ある感情に結びついている経験がひとつだけとは限りません。ひとつの感情に複数の経験、複数の感情にひとつの経験、複数の感情に複数の経験と、個人の中では感情と経験が複雑なネットワークを作っており、ネットワークは日々更新されていくので、そのネットワークを完璧に把握することはほぼ不可能ではないかと思います。感情と結びついた過去の経験を必ずしも特定できるとは限りませんし、思ってもみなかった結びつきに気づくこともあると思います。
3.経験の忘却
感情と経験の結びつきが必ずしも特定できるとは限らないといいましたが、それには感情と経験のネットワークが日々複雑になっていくことも関係していますが、それだけでなく過去の経験を忘却してしまうからでもあります。
経験を忘却してしまう要因はいくつかあると思いますが、ここでは時間、印象、情緒の観点から考えてみたいと思います。
時間は古い記憶ほど忘却されやすくなるということです。食事のような繰り返すことであれば今日食べたものは思い出せても一週間前に食べたものは難しいかもしれません。
印象は記銘するインパクトの大きさです。一回限りの出来事であったり特別関心の強かった出来事などは想起しやすく、そうでない場合は想起しにくくなります。
情緒は出来事によって喚起された情動の強さや持続性です。情緒が経験の記憶に与える影響は複雑です。強く情動が喚起されたり長引いたりするほど想起しやすいように思いますが、強すぎる場合には反対に忘却されやすくなることもあります。
時間、印象、情緒はそれぞれ影響を与え合う関係にあります。長い時間が経過しても印象が強ければ思い出しやすいかもしれませんし、強い印象を残す経験だったとしても耐え難い情緒を喚起させる場合には想起しにくくなるかもしれません。
喚起される感情に影響を与える経験の記憶は想起できる経験だけに限らず、想起できない経験の影響が強い場合もあります。感情と経験のネットワークが複雑であることを考えれば、感情に結びついた経験をひとつだけに絞らずに様々な結びつきの可能性を考慮することで自分の独自性が浮かび上がってくると思います。
4.感情-経験ネットワークの変化
感情と経験のネットワークによって、今生じている感情が現在の出来事に起因するだけでなく過去の経験とも結びついているということは、経験としては過去の出来事であってもその出来事の一部は過去にならないまま今もその個人に影響を与え続けているというふうに考えることもできると思います。その出来事が喜びや力を得られるような経験であれば幸福感を高めるものになるかもしれませんが、悲しみや怒りを起こさせるような出来事であれば辛さや苦しさを感じ続けることになるかもしれません。
人は基本的に快を求め不快を遠ざけるように動機づけられますが、辛さや苦しさはやはり不快に感じることがほとんどだと思います。そこで不快を取り除くための対処法を試みるのですが、この時にどんな対処を行うかは人によって異なります。不快を生じさせる感情を上書きするような体験を求めるかもしれませんし、不快を生じさせる出来事を避けるようになるかもしれません。あるいは「その経験はもはや過去のことだから今に自分には関係ない」と感情と経験の結びつきをほどくように自分に言い聞かせることもあるかもしれません。
それらの対処法がうまくいけば不快を感じずに済むようになりますが、対処できたとしても一時的な物であったり、うまくいかなかったりすることも少なくありません。そのような場合には行動によって対処しようとするのではなく、生じてくる感情を変化させることが必要なのかもしれません。
感情は自生的に生じてくるものなので思うように変化させることができるものではありませんが、どんな感情が生じるかということに感情-経験ネットワークが関係しているなら、そのネットワークに変化をもたらすことで生じてくる感情に変化をもたらすことができると思います。そして全てではないにしても一部の結びつきについては自分の意志で決めることができるものだと思います。もちろん、すぐにそれが可能になるとは限らず、自分の中で構築されているネットワークを知ることや理解すること、あるいは何かしらきっかけとなる出来事が必要になるかもしれません。
何かしら問題を抱えている時にどんな対処法が合っているかは人によって異なりますが、心理的な問題に対して情緒面からアプローチしようとする時に感情-経験ネットワークのイメージが役に立つこともあるのではないかと思います。
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「文責:川上義之
臨床心理士、公認心理師。病院や福祉施設、学校などいくつかの職場での勤務経験があり、心理療法やデイケアの運営、生活支援などの業務を行っていました。2019年に新宿四谷心理カウンセリングルームを開設、現在は相談室でのカウンセリングをメインに行っています」
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