喪失の悲嘆における対象と現実との共感的結びつきの違いについて
1.喪失の体験
何か大切なものを得るというのは、それがとても嬉しいことである反面、その対象との結びつきが強くなるほど失うことを怖く感じますし、失った時の痛みには耐え難く感じるものだと思います。場合によっては何かを得ようとするよりも、既に持っているものを失わないようにすることに強く動機づけられることもあります。
ただ、人が有限の存在である以上、生きていく中で得たものを失うことは避けられないことです。生きていく過程で何かを得て喜び、何かを失って悲しむということを繰り返していかざるを得ないと思います。
しかし、人生がそういうものだとしても、実際に何かを失ったとしたら、そう簡単に割り切れるものではないと思います。人は対象の喪失を経験する時に様々な感情を抱くものです。特にその対象が人である場合にはより複雑なものとなるでしょう。悲しみや喪失感だけでなく、怒りや罪悪感などの感情も抱くかもしれませんし、亡くなった相手に対する同情心を感じることもあるかもしれません。
こうした喪失に伴う感情は、それがどれほど強いものであったとしても、異常なものではなく、重要な対象を失った際に表れる自然なものです。ただ、それがいつまでも長く続き悲嘆に暮れた状態から回復できない場合には、生活や対人関係などに大きな影響を及ぼすようになってしまいます。
2.悲嘆症状と共感性
重要な対象を失って悲嘆に暮れても時間が経つことで次第に回復していくことが多いのですが、その状態が長く続いてしまう人もいます。遷延性悲嘆症と呼ばれていますが、2~5%ほどの割合で死別を経験した人にみられると言われています。
悲嘆状態が長く続いてしまう人と次第に回復していく人にどんな違いがあるのか、明らかではありませんでしたが、以下の研究では共感性に焦点を当てて両者を比較検討しています。
死別後に長引く悲嘆が共感性を抑制:悲嘆の脳科学的メカニズムを解明
(国立研究開発法人国立精神・神経医療研究センター プレスリリース)
上記の研究では、1年以上前に死別を経験した成人を対象に行われ、悲嘆症状と共感性に関する脳の活動の関連性について調査しています。結果は以下のようなものでした。
①悲嘆症状が強い人ほど、故人に対する強い共感的反応を示した。
②悲嘆症状が強い人ほど、存命家族や他人に対して弱い共感的反応を示した。
強い悲嘆症状を持つ人は情緒的に個人との結びつきが強く、相対的に存命家族との結びつきが弱いことが示唆されますが、こうした共感性の偏りは死別後に他者を信頼することが難しくなったり、生活に現実感がもてなくなったりするなどの第二の悲嘆症状につながっているのではないかということでした。
3.悲嘆の長期化と治療の必要性
重要な対象を失った後、思考や情緒などの内的な状態に没頭し、外的な生活や人間関係に対する感度が減退したように見えることがありますが、それは共感性そのものが減退しているのではなく、失った対象との結びつきが強すぎるために、エネルギーの向く先が大きくそちらに偏ってしまい、結果として外に向けるものがほとんど残っていないような状態なのかもしれません。
外的世界との接点を薄くし、喪失対象への思慕を篤くすることは受け入れがたい現実を見ることを拒むことであるように思います。おそらく対象喪失の悲嘆から回復していくためには、一時の間、現実を拒否する時間が必要なのかもしれませんし、それ自体は正常な反応なのだと思います。ただ、あまりに長い間悲嘆に暮れている状態は、悲嘆症状という言葉にもあるように、正常なものと考えることはできないのではないかと思います。
内にこもり外を見ない状態では、外的世界に対する関心だけでなく、自分の身体的状態にも関心を払わなくなるかもしれません。そうなれば当たり前ですが、心身の健康は損なわれていき、最悪の場合には命の危険もあるかもしれませんし、そのような状態では悲嘆症状から回復することがさらに困難になってしまうかもしれません。
悲嘆反応それ自体は正常な反応と思われますが、遷延性悲嘆症の状態になってしまうと、うつ病やストレス障害と関連しているのではないかと考えられますし、悲嘆が長引いている場合には精神科的な治療が必要な状態なのかもしれません。
4.モーニングワーク
日本には「喪に服す」という慣習があります。これは身内に不幸があれば数ヶ月から1年ほどの間、喪服を着て過ごし娯楽や飲酒などの行為を慎んで生活する期間を指します。最近では、さすがにそこまでの制限を設けて生活を送ることは少ないと思いますが、今でも「喪中」「忌中」「四十九日」などの言葉は使われています。
対象喪失に伴う心理的な過程を「モーニングワーク」と呼びますが、葬儀や服喪、法事といった行為は、重要な人と別れることになってしまった個々人が儀式を通してモーニングワークを進めていけるようにするもの、あるいはモーニングワークを儀式化したものなのかもしれません。
悲嘆症が喪失した対象との結びつきの強さ故に対象への思慕と過去に縛られてしまうとするなら、そこから回復していくためには、対象との結びつきを和らげ、現実の人々や現在・未来に目を向けていけるようになることが必要と思います。
葬儀や法事は意外とやることが多くて忙しく立ち回らなければなりませんが、それも死別に伴う感情を一時的に棚上げし、現実と接点を持ち続ける効果があるのかもしれません。ただ、対象喪失の経験は死別だけではありませんし、必ずしも葬儀や法事のような儀式があるとは限りません。また儀式があるからといってそれだけで勝手にモーニングワークが進んでいくというものでもないように思います。
喪失の悲嘆から回復するためにはモーニングワークが必要なのだと思いますし、それには失った対象を悼み偲ぶということが含まれています。情緒的な作業を置いて現実に目を向けようとしても悲嘆からの回復はうまくいかないように思います。同様に内面だけに目を向けても悲嘆が続くことになってしまいます。
喪失対象がどのようなものかによって違いはあると思いますが、多くの場合、失った対象との共感的な結びつきは断ち切るものではなく、緩めるものなのではないかと思います。自己の内面と外的世界は両方に目を向けることが重要なのだと思いますが、モーニングワーク過程のどこにあるかによって、どちらにより重きが置かれるかは変わってきます。どちらか一方のみに偏ることなく、内と外の揺れ動きを繰り返しながらモーニングワークを進めていくことが悲嘆からの回復につながるのではないかと思います。
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「文責:川上義之
臨床心理士、公認心理師。病院や福祉施設、学校などいくつかの職場での勤務経験があり、心理療法やデイケアの運営、生活支援などの業務を行っていました。2019年に新宿四谷心理カウンセリングルームを開設、現在は相談室でのカウンセリングをメインに行っています」
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