意識されること、されないこと
1.意識と無意識
無意識という言葉は「意識を失っている状態」にも使われますが、今回は人の生活の中で「意識できない、意識されない領域」について書いていきたいと思います。
無意識を大雑把にいってしまうと、今この瞬間に意識されていない事柄全てということになります。人は絶えず情報のやりとりや処理(たとえば、視覚や聴覚などの感覚器官を使った外的刺激の受け取り、自分の中の思考や記憶、他者への言葉かけなど)をしていますが、全ての行為が自覚的に行われているわけではなく、大部分は無自覚に意識されないまま行われています。
たとえば、散歩をしているとします。この時、自分が歩いていることや気分転換を目的としていることは意識していますが、右足の次は左足を出すとかバランスをとるために重心の位置を調整するなどを意識することはほとんどないと思いますし、自分がいつから歩けるようになったかということを考えることもないでしょう。
このように人の行為には意識されている部分と意識されない部分の両方があります。
2.意識・無意識の階層性
上記では、意識されるかされないかの2つに分けて書きましたが、意識されない領域(無意識)に関して、研究者によってさらに分けて論じられていますが、ここでは精神分析家S.フロイトが述べた、意識・前意識・無意識について書いていきます。
意識-今この瞬間に自覚的に認識されている事柄。
前意識ー今この瞬間に自覚的に認識されてはいないが、意識的な努力や集中によって容易に自覚的に認識できる事柄。
無意識ー意識的な努力や集中では認識できない事柄。
先ほどの散歩の例に当てはめてみると、歩いていることは意識、歩き方やバランスのとり方は前意識、いつどうやって歩けるようになったかという記憶は無意識となります。
人によって意識の向かいやすい部分は異なるため、歩き方やバランスのとり方も意識されている場合もあれば、考え事をしている時などは歩いていることも前意識になっている場合もあるかもしれません。無意識が意識にのぼってくることは基本的にないのですが、意識の事柄と前意識の事柄は割と簡単に移行しやすい性質のものです。
3.意識されないことのメリット・デメリット
意識されていないことがある、というのは人が安定した生活を送る上で重要なことであるのと同時に、何か困りごとが起こった時にそれを解決することを困難にするものでもあります。
また散歩の例をだしてしまいますが、歩くために常に歩き方やバランスのとり方を意識しなければならないとしたら、周りを見る余裕をもつことは難しいでしょうし、散歩をするたびに事故に遭ったり迷子になったりしてしまうかもしれません。この場合、歩き方やバランスのとり方を前意識化することは歩くための労力を減らし、その分、身の周りに気を配れるようになるというメリットになっていると言えます。
逆に歩き方やバランスのとり方が意識されないことがデメリットになる場合もあります。たとえば、特定の部位に過度に負荷がかかるような歩き方やバランスのとり方をしていた場合、足や膝、腰を痛めてしまうかもしれません。意識されることで痛めてしまうことを避けられる可能性がありますが、意識されないままだと散歩をすればするほど痛みが悪化してしまうでしょう。
自分にとって意識されない事柄は大なり小なり生活に影響を与えています。順調に物事が進んでいる時に意識されない事柄にあえて注意を向ける必要はないかもしれませんが、行き詰まってしまった時に注意を向けてみると、もしかしたら打開する方策を見つけることができるかもしれません。
また、自分では気づいていない事柄も他者から見ると一目瞭然であることもあります。そのため相談できることであれば、自分自身について人の評価を聞いてみることも有効かもしれません。
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「文責:川上義之
臨床心理士、公認心理師。病院や福祉施設、学校などいくつかの職場での勤務経験があり、心理療法やデイケアの運営、生活支援などの業務を行っていました。2019年に新宿四谷心理カウンセリングルームを開設、現在は相談室でのカウンセリングをメインに行っています」
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