個人的な自分と社会的な自分 ~個と衆のバランス~
1.個人の欲求と社会の要請
前回のブログでは、人の動機づけの過程についてと、その動機づけが他者との相互作用によって高まる可能性について触れました。
人の動機づけ過程は大きく、個人で完結するものと他者(個人だけでなく組織や社会も含めて)との間に成立するもののふたつに分けられると思います。もちろん人が社会の中で生活している以上、社会というマクロな視点で見れば他者が関係しないものはないかもしれませんが、個人というミクロな視点で見た場合には、個人と集団で分けられるでしょう。
個人で完結する動機づけ過程については基本的にその個人の意志によって過程を始め終わらせることができるものです。たとえば家に一人でいる時にお腹が空いたとして、すぐにご飯を食べてもいいし食べなくてもいいというように、どのような行動をとるかの裁量は個人に任されています。
動機づけ過程に他者が関与する場合には個人の意志のみではなく、他者の意志を考えなくてはならない場合があります。たとえばお腹が空いたとしても、授業を受けている最中に勝手にご飯を食べ始めるわけにはいきません。基本的にはしかるべき時間・場所で食べることを求められます。
動機づけの過程において、動因・誘因が同じものだとしても、自分を取り巻くの環境がどのような状況かによって、どんな行動をとるかという判断は異なってきます。自分が望むものを得ようと思った時に、それが自分の一人の裁量で決められるものなのか、それとも他者との間で調整することが求められるものなのかというのは大事な視点だと思います。
2.個人と社会との間のバランス
自分が何らかの欲求をもっているように、他者も何らかの欲求をもっています。それぞれの欲求がかち合わないのであれば、それぞれ好きなように行動すればいい話ですが、お互いの欲求が干渉する場合には自分と他者の間で折衝を行う必要があります。
互いの欲求が干渉している状況を放置してしまうと、当事者の一方、あるいは両方ともフラストレーションを抱くことにつながり、関係を断つことになったり、場合によっては深刻な対立を引き起こすことになったりしてしまうかもしれません。
そのような事態を回避しようとする場合には、自分と他者との間で折衝を行い、自分の欲求と他者の欲求を調整することが必要になります。
その際重要になることは自分の欲求と他者の欲求との間で丁度良いバランスを見つけていくことです。自分も他者も欲求がひとつとは限りませんし、自分の中でも個人的欲求と社会的欲求が併存しているかもしれません。そのような複数の欲求が存在している中で、優先順位をつけたり、要求したり譲歩したりをしながらバランスをとっていくことが重要です。
互いの欲求について折衝していくことで、対立するように見える欲求同士であっても二者択一で考えなくてもよくなるかもしれませんし、個人的な欲求が社会的な欲求に変化することもあるかもしれません。
3.チームプレイにおける個人と集団
個人と集団の折り合いについて野球を例に考えてみます。
野球はチームで行うものではありますが、同時に個人の成績が細かく見られるものでもあります。特にプロ選手の場合はチームの成績と共に個人の成績が評価に直結するため、チームが勝利するだけでなく、印象や数字に残る形で自分の成績を求めることも必要です。
選手としては個人成績を追求したくなるかもしれませんが、野球で難しいのは個人成績を追求することとチームの成績が必ずしも一致するとは限らないことです。野球にはポジションがいくつもありますし、それぞれのポジションで求められる役割も異なります。選手それぞれが自分の役割を果たしチームとしてまとまることがチームの勝利につながります。
ある選手が先発投手を希望していたとします。ただチームのメンバーと状況を考慮して中継ぎにやることになりました。この場合、先発という希望が叶わなかったので不満を抱き、やる気が下がってしまうかもしれません。そのまま試合に臨むとどうなるか。先発投手が全ての試合で完投することはできないので中継ぎにも出番が回ってきますが、やる気のないままでは抑えることができず失点を重ねてしまうかもしれません。そうなると当然チームの勝利からは遠ざかってしまいます。
あくまで今先発をやりたいということであれば他のチームへ移ることも考えられますが、今のチームに残る場合には、まずそこでの自分の役割を果たしていくことが大事です。中継ぎの役割をしっかりと果たしていくことがチームの勝利につながりますし、チームへの貢献が評価されればいずれ先発への転向もあるかもしれません。あるいは中継ぎの役割にやりがいを感じるようになって、そこでの成績を追求するようになるかもしれません。
チームが勝利することは選手にとっても好ましいことですが、自分がどのように勝利に貢献するかということもやはり重要です。自分の希望を棚上げすること、与えられた役割と自分の動機づけをすり合わせること、希望の置きどころ変えてみることなどが選手とチームの折衝になります。
動機づけは過程なので今だけでなく時間的な変化があります。時間が経てば自分も他者も変化していくでしょうし、状況が変われば達成したい、達成できる欲求も変わるかもしれません。今だけを見ずに、過去・現在・未来の時間軸の中で自分と他者のバランスを考えていくことが、自分にとってより望ましい結果を得ることにつながっていくのではないかと思います。
4.バランスをとることの難しさ
自分と他者の間でバランスをとるといいましたが、場合によってはバランスをとることが不可能と思えるほど難しく感じることもあります。自分と他者の希望が対立してお互いに譲れない状況が続くこともありますし、状況の当事者の全てがそれぞれの欲求を尊重するとも限りません。
たとえば、コンプライアンスについての意識が全くないブラックな組織があったとして、そのような組織では組織の構成員それぞれの欲求など無視して、組織の欲求のみを追求するかもしれません。そのような組織の中では、そもそも自分と他者のバランスなど成り立たないでしょう。
自分と他者の間でバランスをとろうとする場合、他者から自分が尊重されているという感覚は重要であるように思います。自分が尊重されていると感じられることで他者を尊重しようという気持ちになれるかもしれません。ただ、状況によっては無条件に相手の希望を尊重することが難しい場合もあると思います。
上記した野球チームで言えば、投手として結果を出すことでチームが選手の希望を考慮するようになるだろうと思いますし、チームが選手の活躍に見合った報酬を用意するから選手としても所属していようという気持ちになると思います。そのような結果や報酬という条件がある程度満たされているからこそ、自分の希望通りに欲求が満たされなかったとしても相手の意向を汲もうという考えになると思います。そうした条件が満たされない状況では、自分の欲求を棚上げして相手を尊重しようという気にはなりにくいと思います。
結果や報酬はバランスをとるための外的な条件ですが、条件は外的なものだけでなく内的なものである場合もあります。たとえば、頭ではわかっているのだけど(気持ち的に)納得できないということもありますし、ある信念や考えのために社会的、あるいは法的に間違ったことであっても了承するということもあるかもしれません。これらは反対に動くこともあります。感情や思考は他者との折衝のための内的な条件として働きます。
バランスをとっていく過程では、外的条件と内的条件、受け入れ可能な条件の水準、相手とのコミュニケーションなど、多様な要因が関わってきます。それらは明示的なことも黙示的なこともありますし、意識的なことも無意識的なこともあります。自分と他者の間の調整がスムースに進むこともありますが、関わる要因が増えるほどバランスをとる過程は複雑になりますし、調整もスムースにいかないことが多くなります。
絡み合った要因を解きほぐすことは難しいことが多いですが、自分と他者の間の調整が行き詰まってしまった時には、それぞれの条件や欲求、明確なことと曖昧なことなど、いくつかの要素に分けて整理してみることで、調整するための手掛かりが見つかるかもしれません。
______________________________________________
前のブログ記事:動機づけを高めるための要因と他者との協力の重要性について
次のブログ記事:喪失の悲嘆における対象と現実との共感的結びつきの違いについて
カウンセリングをご希望の方はご予約ページからご連絡ください。
______________________________________________
「文責:川上義之
臨床心理士、公認心理師。病院や福祉施設、学校などいくつかの職場での勤務経験があり、心理療法やデイケアの運営、生活支援などの業務を行っていました。2019年に新宿四谷心理カウンセリングルームを開設、現在は相談室でのカウンセリングをメインに行っています」
______________________________________________
新宿・曙橋でカウンセリングルームをお探しなら新宿四谷心理カウンセリングルームへお越しください