トラウマ体験にまつわる神経ネットワークと脳の活動について
1.トラウマの発生
人は何らかの出来事を経験すると様々な感情が喚起されます。そうした感情は強烈なものもあれば微弱なものもありますし、しばらく持続することもあればすぐに消えてしまうものもありますが、生じた感情のたいていのものは時間の経過とともに弱まっていき次第に収まっていきます。その時の出来事を思い出して感情がよみがえることもありますが、それでも当時と全く同じということは少ないと思います。
ただ、生じた感情の中にはいつまでも弱まることなく繰り返し喚起される感情もあります。それが楽しいとか嬉しいという感情であればまだいいのかもしれませんが、そのような残り続ける感情は不安や恐怖などの自己を脅かすように感じられる感情です。残り続ける感情にも強弱の違いはあるかもしれませんが、それが収まることなく続いていくという点では違いがありません。
トラウマ的体験に限りませんが、出来事の記憶に関する処理が進んでいくことで、経験に対するある種の無毒化がなされ、その体験が次第に自己に統合できるものになっていくのだと思います。ただ、トラウマをもたらすような出来事の記憶はそうした記憶の処理が進まず、自己に統合できないものとして異物感が残り続けるため、長い時間を経たとしても出来事の映像や感情が繰り返し再生されるのかもしれません。
2.トラウマ受傷における脳内の変化
上項では記憶に関する処理と簡単に書きましたが、トラウマが生じるような体験をした際に脳内ではどのようなことが起こっているのでしょうか。神経系のメカニズムはまだ不明な点も多いですが、近年様々な研究手法が開発されてきており、それに伴って脳内で起こっていることやメカニズムについて少しずつ明らかになってきています。
トラウマ記憶はどのようにして脳内に作られるのか
(ResOU:大阪大学のサイト)
トラウマが生じるような体験をすると、脳内にはそのトラウマ体験の記憶に関連した神経細胞のネットワークがつくられます。そのネットワークが刺激されることによって出来事や情動が再体験されるのですが、このネットワークはハブのような機能を果たしており、本来は無関係な記憶もネットワークに取り込みます。そうするとトラウマ記憶を活性化させるような記憶がどんどん増えてしまい、そのためにトラウマ記憶の減弱が起こらないようになってしまうのかもしれません。
ストレスによる持続的な不安のメカニズムを解明!PTSDモデル動物の脳形態変化
(東北大学プレスリリース)
ラットを被験体とした研究では、以前高いストレスを受けた場所に行くとラットは長時間動けなくなるということが観察されました。こうしたラットの脳の状態を観察すると、偏桃体-海馬領域の体積が減少していたようです。偏桃体-海馬はそれぞれ情動と出来事(エピソード)に関する記憶を処理する部位になりますが、トラウマ記憶が活性化されると偏桃体-海馬の機能が停止状態になってしまい、そのためにトラウマ記憶に対する処理を進めることができなくなり、いつまでもトラウマの再体験が続くことになってしまうのかもしれません。
3.トラウマの治療
トラウマを抱えているなら必ず治療が必要になる、というわけではありませんが、トラウマを抱えている場合には、不安感や警戒心の強さなどの過覚醒状態、解離症状、トラウマを想起させる刺激に対する回避行動など、様々な症状が現れる可能性があります。それによって現実適応や精神生活に支障が生じているとすれば、やはり治療は必要と思います。
今回取り上げたことで言えば、トラウマの治療には神経ネットワークを緩やかなものにしていくこと、偏桃体-海馬領域が機能できるようにしていくことが必要と考えられます。
3-1.神経ネットワークの解除
トラウマ記憶には出来事や情動の記憶だけでなく、たとえば場所の記憶であったり人の記憶であったりなど、様々な記憶が含まれており、それらが相互に影響し合って複雑な神経ネットワークをつくっているのだと思いますが、それらの記憶にはトラウマを引き起こす要因となった記憶と付加的に関連付けられた記憶の両者があります。
たとえば、ある場所で事件に遭いそれがトラウマ体験になったとして、事件そのものはトラウマと直接関係していますが、ある場所は直接トラウマを引き起こしたわけではないという意味で、本来はトラウマとは無関係な記憶です。しかし、そのある場所に近づくと記憶が甦ったり不安や恐怖心が強まったりすることがあります。
直接関係のなかったものが記憶の中で関連付けられていくことで、神経ネットワークがより強固となりトラウマの再体験が持続していくとするなら、その関連付けを解除していくことが神経ネットワークを弱めていくことにつながりますし、それによって再体験の頻度も減っていくのではないかと思います。
3-2.記憶の変形
記憶の処理を進めていくためには、そもそも脳が十分に機能していることが必要ですが、上でも見たように、トラウマになるほど強度の強い体験では、自己が脅かされるように感じるほど不安や恐怖心が強くなります。そうなると、その体験は対処が可能なものとは思えなくなるでしょうし、できれば想起するようなことは避けたいと思うようになるのではないでしょうか。
こうした状態は一種の思考停止状態と考えられますが、考えないようにしているというより、思考を停止させることでしか対処ができないという状態かもしれません。ただ、こうした状態はトラウマを自分ではどうにもできない、より強大なものと認識することになってしまい、さらに思考停止状態が続いてしまうという悪循環になりがちです。
トラウマに対処していくためには、思考停止していない状態で記憶に触れていくことが必要ですが、そのまま記憶に触れることはできないため、どのように触れていくかということが重要です。言葉やイメージ、行動など記憶をまた別の形に変形させることで、トラウマの衝撃を和らげることができるかもしれません。東日本の震災の時、子どもたちが津波遊びをしていたというニュースを見た記憶がありますが、子どもたちは記憶を遊びに変形させることで、トラウマを処理しようとしていたのかもしれません。
4.幅広いトラウマの捉え方
トラウマと言うと、何か命に関わるような重大な出来事に遭遇したというイメージを持つかもしれません。確かに元々の言葉の使われ方としてはそのような意味合いで使われていましたが、現在ではより幅広くトラウマを捉えるようになっています。何らかの心理的な傷つきがあり、その傷つきにまつわる苦痛が続いているとすれば、それはトラウマと捉えてよいのではないかと思います。
何を重大と捉えるかは主観的な要素を含みますし人それぞれではあります。重大な出来事から生じたトラウマだから病態が重く回復に時間がかかるとか、ちょっとしたトラウマだから大した問題にはならないとは限りません。自分でもそれほど重要と思っていなかったことに長い間悩まされることもあると思います。
今回取り上げたように、トラウマ記憶では脳の働きが不十分になっている可能性がありますが、実際に脳がどのように働いているかを常に知ることができるわけではありません。何かしら過去の出来事に関して気になり続けていることがあるとすれば、その記憶に関して処理が進んでいないのかもしれません。そういう時にはその記憶にまつわる事柄に関して、表現できる形で表すことで処理が進んでいくこともあるのではないかと思います。
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「文責:川上義之
臨床心理士、公認心理師。病院や福祉施設、学校などいくつかの職場での勤務経験があり、心理療法やデイケアの運営、生活支援などの業務を行っていました。2019年に新宿四谷心理カウンセリングルームを開設、現在は相談室でのカウンセリングをメインに行っています」
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