非言語的・情緒的コミュニケーションと右脳の発達
1.論理的理解と直感的理解
人が何かを理解しようとする時、まずは対象を認識し、内容を分析して理解に至るという手順を踏んでいます。たとえば本を読む時を考えてみると、まずは書いてある文字を把握します。文字の並びから単語・品詞を分類し、それらの関連を分析することで文章を理解します。この作業を繰り返すことで本を読み進めていくわけです。
論理的に順序だてて物事を理解することは、自動化されて無意識的に行われている部分はあるものの、多くは意識的な作業によって行われていることなので、起こっていることのイメージはしやすいように思います。ただ、あることを理解する過程はそのような意識的、論理的なものだけではありません。
うまく言葉にはできないけれどもなんとなくわかるというような経験に覚えのある人は多くいると思いますが、人は物事を論理的に理解するだけではなく、直感的に理解するという能力も備えています。たとえば、普段朗らかな人が表情をしかめて黙っているとしたら、それを見て不機嫌で怒っているように感じますが、何があったか知らなければ怒っていることがわからないということはなく、何故怒っているかはわからなくても怒っていること自体はわかると思います。
論理的理解においては物事の認識と結論の間に分析という過程を挟みますが、直感的理解においては物事の認識から結論が直接的に導かれます。直感的理解でもなんらかの分析が起こっている可能性はありますが、それが意識されることはありませんし、結論に至るまでの時間が遥かに速いことを考えると、少なくとも論理的理解と直感的理解で同じことが起こっているわけではないように思います。
物事の理解に関する両者の違いは理解しようとする対象の性質によって使い分けられるのだと思います。言語的な対象については主に論理的理解が、非言語的な対象については主に直感的理解が対応しているように思われます。行間を読むことなど、言語に対して直感的理解が働いているように感じられることもあるので、そう単純ではないのかもしれませんが、大枠においては言語と論理、非言語と直感という組み合わせになるのではないかと思います。
2.理解の性質と脳の働き
論理と直感の違いがあることは、それらの理解がそれぞれ別の部位で行われていることによります。言語的・論理的な情報処理は主に左脳で行われており、非言語的・直感的な情報処理は主に右脳で行われています。このことは比較的有名と思いますし、メディアなどでも取り上げているのを見たことがあるので、知っている人も多いのではないかと思います。
左脳による情報処理も右脳による情報処理も人が生きていくためにはどちらも必要なものです。どちらの情報処理がより優れているというものではありませんし、基本的には場面場面で意識せずに使い分けています。もちろん人によってどちらの情報処理を用いやすいか、得手不得手はあると思います。論理的に思考することは得意だけど直感的に把握することは苦手とか、直感は優れているけど論理を組み立てることは難しいなどあると思いますが、一方の情報処理が苦手だったとしても他方がその苦手な部分を補うような、左脳と右脳にはそのような相補的な性質があります。
こうした脳の働きは器質的な問題がなく、脳神経系が十分に発達していれば問題なく機能しますが、そうでない場合には脳がうまく機能しない状態になってしまうことがあります。先天的に形成不全や遺伝的要因などによって脳がうまく発達できないこともありますし、後天的に脳損傷や疾患によって脳の機能が失われてしまうこともあります。また、そのような器質的な原因によって脳の機能不全が起こるだけでなく、心理的社会的な要因によって脳の発達の停滞が生じることもあります。
3.右脳の発達と停滞
人の脳はその誕生の前、胎児の段階から右脳と左脳の両方を備えていますが、初めから右脳・左脳ともに十分に機能しているわけではありません。最初は必要最小限の機能しか備わっていなかったものが、成熟と学習によって脳が発達していくことで次第に様々な機能を獲得し、ある程度の年齢まで発達することで十分な機能を備えるようになります。右脳と左脳は同じように発達していくわけではなく、幼児期には主に右脳が発達していき、3歳前後以降から左脳が本格的に発達していくと考えられています。
脳の発達は時間をかけて進んでいくものですが、脳が十分な機能を獲得するまで止むことなく順調に脳が発達していく、とは限りません。何らかの出来事によって脳の発達が停止してしまい、十分な機能を獲得できないままになってしまうことも起こりえます。深刻な発達停止をもたらす出来事として虐待が挙げられますが、そうした深刻なトラウマを残すような出来事でなくとも、より微細かもしれませんが、発達の停滞を起こす場合はあり得ます。
人の脳は右脳から発達していきますが、右脳の発達は養育者との非言語的・情緒的なコミュニケーションによって促されます。何かしらの理由によってそうしたコミュニケーションが不十分なものだったとしたら、右脳の発達も不十分なものになってしまうかもしれません。
難しいのは、発達を促すようなコミュニケーションは単にあるかないかというだけではなく、子どもがどんなコミュニケーションを好んでいるかや量的にどのくらいが至適かということなどが子どもによって異なっており、また養育者の応じ方にも個性があるため、一概にこれが良いコミュニケーションであるとは言えないことです。脳の発達にとって最適な応答を続けていくということは実際には不可能なことだと思いますし、部分的に発達の停滞が起こることは避けられないことかもしれません。
そう考えると、部分的な発達の停滞が起こることは問題ではないように思います。停滞が起こったからと言って必ず問題が生じるとは限りませんし、問題が起こったとしても対処は可能かもしれません。重要なことは起こっている問題に右脳の発達が関係しているどうか、その可能性について検討することと、必要があれば対応していくことだと思います。
4.カウンセリングと右脳
非言語的・情緒的コミュニケーソンが右脳の発達を促すと述べましたが、右脳の発達の停滞によって問題が生じるとすれば、その問題は他者とのコミュニケーションや情緒に関連することが多いように思います。人と関われないわけではなくとも強い負担感を抱いていたり、自身の感情との付き合い方に困難を抱えていたりなどです。
カウンセリングはクライエントとカウンセラーが話をしながら進めていくものなので、どんなことを話すのか、その内容に注意が向きやすいですが、それだけでなく、はっきりと言葉には表されないような非言語的・情緒的なやりとりも起こっています。意図的に含みを持たせた言い方をすることもあると思いますし、自分では思ってもみなかったようなことをしていることもあるかもしれません。思ってもみなかったこと、というのはイメージしづらいと思いますが、自分ではそんなつもりはなかったとしても、それを他者も同じように感じているとは限らないということです。
カウンセリングで話し合われる内容だけでなく、カウンセリングの中で起こっている非言語的・情緒的なやりとりについて論理的理解と直感的理解を深めていくことで、停滞していた右脳の発達が促される可能性が生まれるのではないかと思います。カウンセリングを行えばそれが必ず起こるわけではありませんし、大人の場合子どもと同じように発達することは難しいかもしれませんが、言葉にされないことへの理解を深めることは抱えている問題に取り組むこととつながっていると思います。
言葉にされない事柄に取り組むことは大変ですし、時に苦しいものになるかもしれませんが、抱えている問題が右脳の発達の停滞によって生じているように考えられる時には、カウンセリングを行ってみることを検討してみてはいかがでしょうか。
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「文責:川上義之
臨床心理士、公認心理師。病院や福祉施設、学校などいくつかの職場での勤務経験があり、心理療法やデイケアの運営、生活支援などの業務を行っていました。2019年に新宿四谷心理カウンセリングルームを開設、現在は相談室でのカウンセリングをメインに行っています」
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